大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大分地方裁判所 昭和58年(行ウ)11号 判決

原告

江田千鶴子

右訴訟代理人弁護士

馬奈木昭雄

右同

下田泰

右同

稲村晴夫

右訴訟復代理人弁護士

岡村正淳

被告

日田労働基準監督署長神高雄

右訴訟代理人弁護士

中野昌治

右指定代理人

上田政之

右同

竹内久夫

右同

比嘉俊雄

右同

吉武雅裕

右同

木下旭己

右同

礒崎弘

右同

松尾達雄

右同

帆足文之助

右同

甲斐康之

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

被告が昭和五六年六月二九日付で原告に対してなした労働者災害補償保険法にもとづく遺族補償年金及び葬祭料を支給しない旨の決定を取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  訴外亡江田秋仁(以下「亡江田」という)は、製材所を営む梶原善一に雇用され、伐木運材の作業に従事していたが、昭和五五年一一月二五日、大分県日田郡上津江村上野田所在の尾ノ岳国有林(以下「本件国有林」という)において、伐倒木の搬出作業中斜面を転落し、脳損傷により同日死亡した(以下「本件災害」という)。原告は亡江田の妻であり、その死亡により遺族となり、同人の葬祭を行った者である。

2  原告は、昭和五五年一二月五日、被告に対し、亡江田は業務上死亡したものである旨主張して、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という)に基づき、葬祭料及び遺族補償給付(以下「補償給付等」という)の請求をなしたところ、被告は、昭和五六年六月二九日、原告に対し、亡江田は労働者とは認められないとの理由で、右補償給付等の支給をしない旨決定した(以下「本件決定」という)。原告は右決定を不服として、同年七月一五日、大分労働者災害補償保険審査官に対し審査請求したが、昭和五七年二月八日、右請求を棄却する旨の決定を受けた。そこで原告は、更に同年三月一六日、労働保険審査会に対し再審査請求をしたが、昭和五八年九月一日、再審査請求を棄却する旨の裁決がなされ、同年一〇月一八日、右裁決書謄本が原告に送達された。

3  しかし、亡江田は、次の各事実に照らすと、労働基準法(以下「労基法」という)九条、ひいては労災保険法上にいう労働者に該当するというべきであるから、亡江田が右労働者に該当しないと判断してなした本件決定は、事実を誤認し、あるいは法律の適用を誤まった違法なものである。

(一) 亡江田は、昭和五五年七月二三日、梶原との間で、同人が行う本件国有林の山林作業のうち集材及び造材の作業を担当する契約(以下「本件契約」という)を締結したのであるが、

(1) 梶原は、右山林作業について亡江田を指揮、監督していたものである。すなわち、一般的にいって、製材業者は、山林作業の現場で作業を指示監督しておかないと、労働者が作業能率だけを考えて作業するので、安全面に問題が出たり、何よりも製品の価値を損うおそれが生じるのである。特に造材については、製材業者の指示が絶対に不可欠で、造材方法いかんで製品価値に決定的な影響を及ぼすのである。そこで造材その他の山林作業の工程管理を山仙頭にまかせることはできず、製材業者が指示監督する必要が存するのである。本件契約にも、亡江田の山林作業について梶原の指示に従うべきことの約定が存するのみならず、実際に梶原は、本件作業現場に同人の被用者今津綱敏(造材の習熟者)を毎日のように派遣し、亡江田の山林作業、とくに造材について指示監督していたものである。

(2) 次に、本件契約によれば、本件山林作業で梶原が亡江田らに支払うべき賃金総額は金五〇〇万円という出来高一括払契約となっている。右の金額を決定する際には、梶原は、亡江田のみならず、亡江田と一緒に本件作業に従事した他の作業員三名をも含めて話しあって決定したものであり、また、実際の賃金支払方法としても、作業終了後に全額が一括して支払われたわけではなく、各作業員の要求があれば、出来高の範囲内で随時支払っているのである。このように右作業員らの賃金については、亡江田が自ら決定し、自ら支払ったわけではなく、梶原と右作業員全員が話合いによって決定し、梶原が支払ったものである。なお、予定期間内に作業が終了しなかった場合には、日田地方の慣習に従って、「アゲグロ」と称される割増金が支払われることになっているし、本件作業遂行に要する経費も前記一括支払金の総額に含ませる合意がなされており、また現実に梶原は右経費の一部であるガソリン代油代を出損していることに照らすと、前記五〇〇万円を請負代金額ということはできない。

(3) 更に、亡江田は、集材機械を保有し、これを使用して本件山林作業を行ってきたが、右機械は中古品を金三一万円相当で入手したにすぎず、また江田死亡後は、同人の債権者に対し、金三〇万円に評価されて代物弁済されたにすぎないから、同人が高価な機械を所有していたとはいいがたい。

(4) 本件の労災保険加入の手続等は、被告の行政指導に従って行われたものである。すなわち、被告は、労災保険法制定時から、日田地方の製材所に対し、山仙頭を含めて山林労働者については、製材所が使用者としてこれらの者の労災保険加入手続をするように行政指導を行なってきた。それで原告の雇用者である梶原も、被告の右行政指導に従って、亡江田及び前記作業員らについて労災保険の加入及び保険料の支払いを行っており、被告は右につき何の問題も指摘してこなかった。しかも、被告は、かつて本件同様の山仙頭の労災事故について労災保険金を給付した前例が二、三存する。

4  以上のとおり、被告のなした本件決定は亡江田についての労働者性の認定判断を誤った違法なものであるから、請求の趣旨記載のとおり取消を求める。

二  請求原因に対する認否と被告の主張

1  認否

(一) 請求原因1の事実のうち、亡江田が梶原に雇用されていたことは否認する。原告が亡江田の葬祭を行ったことは知らない。その余の事実は認める。

(二) 同2の事実は認める。

(三) 同3の亡江田が労基法九条に規定する労働者に該当する旨の主張は争う。

同(一)の事実のうち、冒頭の事実及び(3)の事実中亡江田が集材機械を所有しこれを使用して本件山林作業を遂行していたことは認める。同(4)の事実中保険金給付例については知らない。同3のその余の事実ないし主張は否認ないし争う。

2  被告の主張

(一) 大分県日田地方における山林労働―いわゆる「山仙頭」の労働者性について

同地方における山林作業は、山仙頭と呼ばれる者を中心とした数人のグループを単位として行われてきた。山林作業が機械化される前の肉体労働が主力を占めた時代には、この山仙頭は、グループの単なるリーダーであって、他の山林労働者を雇用する者ではなかったが、山林作業の機械化がすすむにつれ、山仙頭の中には自ら機械類を所有して山林労働者を雇用する者が出現した。すなわち山林作業の機械化は、まず製材業者が機械類を購入して山林労働者に使用させるという形で始められたが、製材業者側は機械類を自ら所有し、維持することが非能率だったことから、積極的に右機械類を山仙頭に対し払い下げるようになったものである。このようにして製材業者が山林の伐木、集材作業から手を引き、山仙頭のうちからこれに代わる者がでてきた。また他方、従来は製材所等が山林作業全体を一貫して行っていたのに対し、森林組合や木材市場により、そのうちの伐木、集材作業のみをその直営で行う形態も出現してきて山仙頭のうち自ら機械類を所有しない者がこれら森林組合等に直接雇用されるという形態も現われた。

このような山林労働の変遷の中にあって、今日、山仙頭といわれる者が山林事業に従事する形態は多様化を示しており、山仙頭の労働者性は、個々のケース、個々の実態に応じて判断されねばならなくなった。

(二) 亡江田の労働者性について

(1) 亡江田は、昭和五〇年ころ、約金五〇〇万円で集材機械類を購入し、自らが雇用した労働者を使用して集材作業を請け負うようになり、雇用した労働者には、日給に各労働者の延出勤日数(出星、又は出面)を掛けたものを月二回に分けて支払い、右賃金や機械の油代等の経費を差し引いた残高が亡江田の実収入となっていたものである。

(2) 本件災害時の作業形態は次のとおりであった。

(イ) 本件災害が発生した本件国有林については、梶原が、昭和五五年六月一九日、菊池営林署から落札した。亡江田は、同年七月二三日、梶原から同国有林(約一二〇〇立方メートルの杉、檜)の伐木、集材作業を一括金五〇〇万円で請負ったものの、そのうちの伐木作業については、梶原に対し、川村勝亀外のグループを紹介した結果、右作業は同グループによって遂行されることとなった。したがって、亡江田と梶原間の右請負契約は集材、運材のみに関するものとなった。

(ロ) そして、亡江田は、本件集材作業を開始するにあたり、四名の作業員を自ら雇用し、前記の高価な集材機械を右作業員らに使用させて作業を行わせ、右作業の指揮、監督も自ら行っていたものである。

(ハ) 更に、亡江田は、右作業員らの賃金を前記基準にしたがって自ら決定し、これを支払うと共に、本件集材作業の遂行に伴う油代等の諸経費も、自らの責任で支出していた。

(ニ) 要するに、亡江田と梶原との間に締結された本件契約は、亡江田が一括して受取る金員から、同人の責任において雇用した配下の作業員に支払った賃金その他必要経費を控除したその残額をもって、同人の収入とするという内容のものであって、結局その事業の危険は亡江田が負担するという型態であった。

(3) その他労働者性を否定すべき次のような事実も存する。

(イ) 亡江田配下の作業員は、使用者が亡江田であり、同人から賃金の支払いを受けていたという認識を有していた。

(ロ) 亡江田は、本件災害当時、本件現場のみならず、他の製材業者等の山林作業の現場をもっていた。

(ハ) 亡江田は、個人企業の事業主として、自ら事業税の申告、納付をもしていた。

(三) 以上に照らすと、亡江田は、四名の作業員を雇入れ、機械も保有して各地の製材所等から集材作業を請負う事業者であったというべきであるから、同人を労働者と認めなかった本件決定は正当というべきである。

第三証拠(略)

理由

一  亡江田が、昭和五五年一一月二五日、本件国有林において、伐倒木の搬出作業中斜面を転落し、脳損傷により同日死亡したこと(本件災害の発生)、原告が亡江田の妻であること及び請求原因2の事実はいずれも当事者間に争いがない。

二  そこで亡江田が労災保険法の適用を受ける「労働者」に該当するか否かについて検討する。

(証拠略)、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

1  大分県日田地方の山林作業の実態と変遷

(一)  同地方における山林立木の製材までの作業は、かつては製材業者が一貫してその作業全体、すなわち立木の伐木、搬出(集材、運材)、製材(造材)の各作業を行ってきた。右山林作業は「山仙頭」と呼ばれる者を中心とする数人のグループを単位として行われていた。山林作業が機械化される以前の肉体労働が主力を占める時代には、この山仙頭は、グループの単なる世話人で、いわば同輩者中の第一人者として責任代表者的身分にあって、事業主である製材業者の指示に従い現場の作業に従事すると共に、製材業者との交渉、労務賃金の受領、配分、その他の雑用的用務を処理していた。この時期の賃金の算定は、一般に日田地方の山林労働者の日給を基準にして作業場所や立木の樹齢等により作業量を予測し、これらから一立方メートルあたりの単価を定め、その共同の出来高により算定する方法がとられていた。もっとも、山林作業終了時、延作業日数や総実費と当初約束の賃金を比較して、作業量の見込み違いや天候不順、現場の地形等思わぬ事態によって総実費が著しく過大となった場合には、更に賃金総額の上積み(「アゲグロ」と称された)が行われ、これをグループの作業員全員で分配する慣行であった。

(二)  その後、昭和三〇年代後半から昭和四〇年代に入ったころから、山林作業の機械化が進展し、まず事業主である製材業者が機械類を購入して山林労働者に使用させていたが、逐次製材業者側においてコスト意識が高まり、機械類の維持、管理費用を低減させる手段として、右機械類を資力のある山仙頭に払い下げることが積極的になされた。このころから森林組合直営の素材(原木)市場が形成されはじめ、生産者である組合自ら伐木、集運材作業を行うようになり、製材業者は市場から原木仕入れをするのが主流化するなど、木材の流通過程に変動を生じ、そのため製材業者のうちには、伐木、集運材、搬出作業から撤退し、製材業のみに専念する業者が増加する一方、森林組合が右伐木搬出作業等を請負に出す形態も多くなり、これらの請負業の需要が生じたことと相まって、山仙頭のうちには、機械類の払い下げを受けてこれを保有、使用し、山林作業特定部門につき、製材業者や右組合から独立して自ら事業主として作業を行う者が出現してきた。なお、機械類を保有しない山仙頭の内には、従来どおり製材業者や森林組合に直接雇用される者もいた。

2  「山仙頭」としての亡江田の作業形態等について

亡江田は、本件災害時まで約二五年間にわたって、山林作業のうち集運材作業を専門に、当初山仙頭長沢武について、次いで、昭和四六、七年ころ、長沢の地位を引き継いで自ら山仙頭として、概ね同一製材所の山林作業に従事してきた。しかし、昭和五〇年ころ、中古の木材運材用索道機一式(以下「集材機」という。チエンソーのような単なる手工具的機器ではなく、相当規模の機械装置であり、これを新たに購入すれば金五〇〇万円を下らない費用を要する。ただ、原告は、本件災害後である昭和五八年一月二〇日ころ、右機械を金三〇万円で処分した。)を購入して以後は、これを使用して、石井守ら四名の山林作業員と常時グループを組んで(むしろ、これら四名がいつも行動を共にし、仕事があれば亡江田と結び付く形で「江田組」が形成される。)、集運材作業に従事した。右の他のグループ員は誰も集材機を保有していない。右グループ員に対する賃金は、通常、亡江田において、同人が作業依頼主から作業量に応じて一括して受領した金員の中から、日給及び延稼働日数(出星)に基づいて計算して支払っていた。なお、亡江田は、従前は同じ製材所の作業に従事していたが集材機を保有するようになってからは、特定の製材所に所属してそこの作業のみに従事するのではなく、依頼に応じて複数の製材所の集運材作業をするようになり、本件現場作業従事中の昭和五五年一〇月ころも、大分県湯布院地方の他の業者の搬出作業を請けており、この現場は、グループ員の一人である石井良之助に任せた形で、時たま顔を出す程度であった。また、遅くとも前記集材機購入後の昭和五一年以降は、亡江田は、運材業の個人請負業として事業税の申告をし、納入してきている。

3  本件山林作業について

(一)  製材所を営んでいた梶原は、昭和五五年六月一九日、本件国有林の払い下げを受けた際、知人から山林作業に関して亡江田の紹介を受けた。梶原は、亡江田とは初対面であったが、同人に対し、同年七月二三日、右国有林のうち杉、檜合計六二五八本の伐採、集運材作業を、対価一括五〇〇万円、作業の着手時期同年八月一日、終了時期同年一二月三〇日の約定で依頼することとした。ただし、その後伐採作業については亡江田の紹介により、他の伐採専門の山仙頭二グループが行うことになったため、結局、亡江田は、集運材作業のみを、前記五〇〇万円から右二グループへの支払分(梶原が直接支払う)を差し引いた残額をもって担当するところとなった。

(二)  亡江田は、昭和五五年八月一日前記他の二グループによる伐採が開始され、それが終了後、伐木の集運材作業を開始した。右作業は亡江田の保有する集材機を用いて、同人のほか「江田組」と称される前記四名のグループ員らによって遂行された。なお、梶原は、江田組の各グループ員それぞれの傭入れについてはなんらの関与をしておらず、同人らはいずれも亡江田の責任において傭入れたものである(証人梶原の証言中右認定に反する部分は措信しない)。

(三)  ところで製材業者は、集運材の計画(搬出方法―全幹集材か玉切集材か、張る架線数、位置等)、造材(玉切)の方法いかんが製品コスト、製品価値に決定的な影響を及ぼすことになるし、災害防止の観点からも、作業現場において、山仙頭に対し、右の各点については自ら指示するのが一般であって、その意味で伐木から搬出までの現場作業一切を山仙頭に委ねるわけではなく、特に造材の方法については、それ自体が製品価値に直結していることから、現場で細かい指示を与えるのが通常である。梶原は、製材業者として、本件集運材作業について上記の観点にたち、本件国有林の地形、切り出し予定の立木の種類、その範囲等を考慮したうえ、亡江田に対し、集運材用架線の設置位置及びその張り方、集運材の方法(全幹集材)、順序、終了時期について決定、指示した。しかし、集運材現場における具体的な作業手順、方法等については、亡江田がグループの作業員を指揮監督し、梶原はこれらの点について具体的に関与することはなかった。

そして、亡江田は、個々のグループ員の出勤の確認及びその記録等作業管理について自ら行うのみならず、各グループ員の賃金も、自ら梶原に対し集運材作業の出来高に応じて一括して請求し、これを受領した上、日給及び出星に従って計算し、月二回に分けて同人らに支払っていた。これに反し、亡江田の取り分については、一日いくら等の定めはなく、また同人保有の集材機に要する経費(油代、維持費、償却費等)は同人の取り分によってまかなわれていた(証人梶原の証言及び同証言によって成立の認められる〈証拠略〉によると、梶原が油代等を支弁したことが認められるが、これらはいずれも伐木、造材に関するものである。)

(四)  亡江田死亡当時、伐倒木の集運材作業はなお未了の状態にあったところ、梶原は、同年一二月二日、右作業完成のため、石井守ら亡江田グループ員であった四名を、索道器具を点検すること、作業時間は従前通りとすること、日給一人金七〇〇〇円とすること及び他に乗用車手当及び油代等を支給すること等を条件として、改めて日当制で直接雇入れ、本件国有林の集運材作業を継続完了させ、賃金も出勤日数に対応して右各人に支払った。なお、梶原としては、亡江田死亡時点において、当初の亡江田、梶原間の本件契約は終了したものとして、右各グループ員を雇入れたものである。

以上の事実が認められる。

もっとも、原告は「事業請負契約書」と題する書面(〈証拠略〉)に、「伐木、造材、索道、トラック掛まで集材し、甲(梶原)の指示に従うこと」との記載があることを根拠として、亡江田が造材作業をも担当していた旨、及び梶原が本件事故の原因となった集材作業をも指揮していた旨を主張しているが、前記認定の各事実にも照すとき、右文言から直ちに、亡江田が造材作業も行うものであることや、集材作業について具体的指揮監督を受けていたものと認めることはできない。

また、原告は、梶原はその従業員今津綱敏を何十日間も本件作業現場に派遣して、亡江田らの行う本件山林作業全般の指示監督に当らせた旨主張し、(証拠略)及び証人梶原の証言によると、梶原は、今津を、昭和五五年八月一日以降本件災害発生までの間、月のうち三日ないし一五日間本件作業現場に派遣し、同人は本件災害発生当日も災害発生現場に居あわせたことが認められる。しかし、他方右各証拠によると、今津は造材の熟練工であって、作業現場においては造材の方法について指揮する職務を担っていたこと、同人は集運材作業については専門外のことで、亡江田の方が熟練しており、同人や同作業を指揮できる立場になく、造材作業のないときに亡江田の作業を手伝っていたにすぎないことが認められるので、今津が、本件現場に度々派遣されていたことや、本件災害時に居あわせたことをもって、同人ひいては梶原が亡江田の山林作業を指揮していたとすることはできない。

三  以上の事実関係に基づき亡江田の「労働者」該当性について判断する。

1  労災保険法の適用を受ける「労働者」の意義につき、同法に明文の規定はないが労基法に規定する「労働者」と同一のものをいうと解されるところ、同法九条には、「労働者とは、職業の種類を問わず、(労基法の適用を受ける事業に)使用される者で、賃金を支払われる者をいう。」と定義されている。右は結局のところ、使用者との支配従属関係の下で労務を提供し、その対償として使用者から賃金の支払を受ける者と解される。

ところで、山仙頭と呼称される者が山林作業に従事する形態は、前記認定のとおり、木材市場の合理化、近代化に伴い山林作業の請負業態のものも多く出現するようになり、近時著しい変遷がみられ、従来の同輩者中の第一人者的地位を有する者から独立の事業主たる地位を有するものまで多様化しているところであり、山仙頭の労働者性判断にあたっては、これを一律に決することはできず、個々の事例に基づき敍上の観点から判断すべきことになる。

2  本件においては、前認定のとおり、亡江田は、単なる手工具的機具ではなく、相当高価でかつかなりの機械装置である集材機を保有、使用し、その指揮下にある山林作業員ら数名と共に、複数の製材所等の依頼を受け、集運材作業を専門に山林作業に従事してきたものであり、右集材機を保有するのはグループ員中亡江田だけであり、作業の代償も亡江田が一括して依頼主から受領し、一定の配分基準に従って各作業員に賃金として支払い、事業税も亡江田の名で申告、納付していたというのである。そうすると、亡江田は、同一グループ内の他のグループ員との関係では、日田地方の慣行上の責任労働者的地位、すなわち同輩者中の第一人者的地位を超えて、労務者というべき他のグループ員らとは一線を画した地位を有していたものと認めることができる。

他方、前認定の事実によると、亡江田と梶原間の本件契約は、杉、檜等の伐木の集運材を一定の金額を代償として、一定の期間に完成させることを目的とし、亡江田の保有する集材機を用い、必要とする作業員は、日頃からグループを組みその配下として使用してきたグループ員を、亡江田が自らの責任において雇入れ、後述の梶原による依頼主としての作業方法の指示等を除いて、具体的な作業手順、方法も亡江田の裁量に委ね、同人がグループ員を指揮監督して右作業を行わせ、自らもまたそのグループ員も、直接梶原から具体的な指揮監督を受けることはなかったし、グループ員に対する賃金も支払い、集材機の経費も自ら負担するという内容のものであったし、そのとおり履行されたというのである。もっとも、前記二、3、(三)に認定のとおり、梶原は、亡江田に対し、集運材用の架線設置位置及び張り方、集運材の方法、順序、終了時期等について決定、指示している事実が存するが、これは、災害防止や効率的な素材生産に重大な関心を有する製材業者が発注者としての立場上当然なすべき注文であり、作業全体のいわば工程、管理に関する事柄であり、契約条件ともいうべく、右事実をもって、亡江田が本件山林作業において梶原に指揮監督されたものとすることはできない。

3  以上の事実に照らすと、亡江田が梶原との関係で使用者、被傭者としての支配従属関係に立っていたとはいえない。また、亡江田の収入も、梶原から受領する代償としての総金額から各グループ員に支払う賃金や諸経費を差し引いた残額が、これに相当し、常に一定額や一定割合により所得、収入が存するわけではなく、その危険負担を伴うもので、この収入を賃金とみることは到底不可能である。そうすると、本件で亡江田を労働者とみることはできない。却って、本件においては、亡江田の本件山林作業の指揮監督の状況や賃金の支払関係、さらには、自ら事業主体として事業税を納付していた事実等に照らすと、いわゆる「アゲグロ」と称する割増金追加支給という慣行を考慮にいれてもなお、亡江田は、本件山林作業を自らの責任において実施していたもので、独立の事業主とみるのが、相当である。

四  右のとおり本件において亡江田を労働者と認めることはできないから、同人に対する労災保険金の支給はできないものと解される。

なお、原告は、亡江田同様の山仙頭について過去に労災保険給付がなされた例が二、三ある旨主張するが、山仙頭が必ずしも労働者性を有しないことからすれば、原告の右主張は前提を欠くもので採用できない。

五  被告らの行政指導について

梶原は、労災保険法施行以来本件災害時までの長い間、同人が使用してきた山仙頭につき、すべて自らを事業主として労災保険に加入してきており、亡江田の本件山林作業についても、昭和五五年七月二九日、日田労働基準監督署長あて一括有期事業開始届を提出し、その際添付した労働者名簿に亡江田も記載届出していること及び亡江田が各所で山林作業した際も、同様に依頼主が同人のため労災保険料を納付していた事実が存し(前掲証人梶原の証言等により認む)、原告は、右は被告や被告の属する日田労働基準監督署が、従来から山仙頭を使う日田地方の製材業者に対して行ってきた行政指導に副うものであるから、労災制度上亡江田は労働者として取扱われるべきである旨主張する。(証拠略)及び弁論の全趣旨等によると、たしかに、被告は、労災保険法施行当初から日田地方の製材業者等事業主に対し、所論のように労災保険に加入すべきことを繰り返し指導し、その加入を推進していたこと、しかし、被告らは、前述の同地方の山林作業の実態の変遷に伴って、山仙頭について実情に応じた労災保険の適用をも指導するに至り、昭和四〇年に一定範囲の事業主に対する「特別加入制度」の創設(現行労災保険法二七条ないし三〇条参照)に伴い遅くとも昭和五〇年ころから、市町村広報や被告関係の機関紙、あるいは被告開催の説明会において事業主化した山仙頭につき同制度の利用を勧める行政指導を行ってきたこと、その結果同地方の山仙頭の中にも右特別加入制度を利用する者も出てきたことが認められるのであり、山仙頭の労災保険加入について、被告がことさら所論のような形態のみを指導するような行政指導をしたとは認めがたい。もっとも、亡江田は、依頼主の梶原が自己のため労災保険に加入してくれているため、後顧の憂もなく本件作業に従事し、梶原も従前どおりそうすべきものとして右加入手続をとったものと推測されるし、前掲証人瀬戸及び同梶原の各証言に照らすと、被告の行政指導が雇傭か請負か困難な問題を含む山仙頭の労災加入につき、その実態の変遷に対応した十分徹底したものがなされたか疑問を感じざるをえず、亡江田もその狭間に立たされて不利益な結果を甘受させられたのではとの疑念も存する。しかし前判示のとおり、その実態に照らし、亡江田に労働者性が認められない以上、たとえ依頼主が山仙頭である亡江田を自らの被傭者として労災保険に加入し、保険料を支払ってきた事実があったとしても、労災保険上同人を労働者として取扱いえないことはやむをえないことである。

六  以上の次第で、亡江田が労働者でないと判断した本件不支給決定には何ら認定、判断の過誤、違法はない。

よって、右決定の取消を求める原告の被告に対する請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 川本隆 裁判官 岡部喜代子 裁判官 小久保孝雄)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例